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門人たちと技術の伝承

群馬県の北東部に位置する片品村は、小さな村ですが、明治維新を決定づけた戊辰戦争を契機に、ここで養蚕の歴史に大きな変革をもたらす出来事が起きました。永井紺周郎・いと夫妻による画期的な養蚕技術の創出です。後に「永井流いぶし飼い」と呼ばれるようになるこの方法は、それまで立地や天候などの自然条件に左右されていた養蚕に安定した収穫への道をひらくことになりました。
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最終更新:2016.10.26.

レビュアーのための更新情報:
1.雲井龍雄と三烈士の墓
2.「会津戦争記憶記」星野なか
3.片品村の絹遺産リスト
4.「戊辰戦争と片品村」(講演PPT)

 

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撮影:永井佐紺

片品村針山新田の旧永井家母屋。「いぶし飼い」はここで生まれました(写真は昭和30年代に撮影されたもの。現在は改築されています)。

慶応4年5月(旧暦)、会津藩を中心とする奥羽越列藩同盟の進攻に備えるため新政府軍(官軍)は会津街道(沼田街道)の要衝となっている片品村で防備を固めようとしました。続々と集結する諸藩の中で、沼田藩の一部が進軍中たまたま豪雨に見舞われ、ここ針山新田に逗留しました。その時兵士たちは家の中で焚火をするなど、養蚕農家にとってはとんでもないことをするのですが、それによって起こった事態をヒントに、永井紺周郎・いと夫妻は「お蚕さま」の飼い方に工夫を加え、病気の発生を防ぐなど、大きく改良していきました。→詳しくは《戊辰戦争と片品村》の項をご参照ください。

(以下、作成中)

 

このホームページをご覧の方へ:

永井紺周郎と妻いと、二人による画期的な養蚕技術「いぶし飼い」の創出とその社会的貢献の範囲と歴史、その他関連事績や史跡を広く紹介するために、そして後世に正しく伝えるために、片品絹遺産の会はデジタル・アーカイブの整備を進めています。このホームページはその活動の一環です。我々の調査で判明した事実や遺跡等は順次掲載していきますが、永井紺周郎、いと、「いぶし飼い」、明治時代の農家の生活や養蚕業に関連する文献・資料などをご提供いただける方は、お手数ですが、下記までお知らせいただければ幸いです。

     

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片品村絹遺産の会
〒378-0415 群馬県利根郡片品村鎌田3946 中央公民館2階 片品村教育委員会
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