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門人たちと技術の伝承
片品村の絹遺産

史跡と片品絹遺産の会
■会の成立まで
規約
現在の活動

 

最終更新:2015.5.3.

 

会の成立まで

どんな組織であれ、形を成すまでには前史ともいうべき動きがあります。多くの場合、それは後に結集することになる個々の人たちの、おのおの別の意図と意思を持った独自の動きです。それらの縦糸と横糸が偶然に交差し、綾をなして、それが共有できるものとしてそれぞれに強く自覚された時、プロジェクトとして達成目標が生まれます。

片品村は自然環境に恵まれながらも人口減少に歯止めはかからず、過疎に向かいつつある小さな村です。その大きな流れの中にあっても、ひとりは村の文化財を調査して史跡の所在や習わしを探り、ひとりは民俗文化としての観察・考証を記録し、ひとりは外からの好奇心に満ちた目であちこちの事物を渉猟し、ひとりは地元人としての生活の成り立ちに深く思いをはせ、またひとりは村の将来を憂えながら方策を探っていました。またひとりはそこにある景観を価値あるものとして再創造する試みを始めていました。

ある日、偶然とも思える出来事が外からの刺激となってひとりひとりを結び付けていくことになります。

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その出来事とは、「永井流養蚕術伝承会」の来訪です。前橋市日輪寺の木村信夫さんが、その地域に住む永井流門人の子孫の方々を組織し、針山にある永井紺周郎・いとの墓参りに来られたのです。片品村の大竹将彦(のぶひこ)さんと戸丸廣安さんは既に伝承会の存在と木村さんを存じ上げており、片品側の受け入れ態勢を整えることになりました。しかし、声をかけられた人たちには青天の霹靂ともいうべきことでした。

hakamairi「いぶし飼い」の永井紺周郎という名前は知っていても、その内容や事績を具体的に詳しく、人に説明できるほどには知らなかったからです。永井家の係累にある数人を除いて、偉い人らしい、とは思っても、どうしてなのかは説明できません。なのに、前橋から大勢の人がマイクロバスと自家用車で片品村の最奥にある針山までわざわざお墓参りに来るとは! 内心少なからずショックでした。そして恥ずかしい、という気持ちが徐々に心の中に浸透してきました。2013年10月29日のことでした。

大竹将彦さんは『片品村史』改訂版の編集者のひとりであることからも、他の人より数年先行して群馬県の養蚕、村の歴史における永井紺周郎と妻いとの功績や人々の生活と養蚕との相関について研究を進めていました。その仕事は収集した資料とともに、後に会の中枢を担うことになる笠松亮に引き継がれ、戸丸俊一と大竹文夫が加わります。そして神田隆が古民家の専門的知識をもって参加し、会の骨格が形成されました。

「群馬の絹遺産」の波

「富岡製糸場を世界文化遺産に」という県をあげての運動は、徐々に、北東端の山村・片品村にも波及してきました。村としても「永井流いぶし飼い」の永井紺周郎と妻いと、その功績の身近な具体的証拠となる「永井流伝習所実習棟」がそこへ連なる分かりやすい史跡と言えるのではないか、と考えられたのです。役場・むらづくり観光課はそれを検証すべく笠松亮に調査を依頼しました。笠松はそれを請け、2014年3月、「永井紺周郎と妻いとを群馬の養蚕史の中に正しく位置づける」という目標を定めて広範な調査活動に着手しました。

 

(以下作成中)

調査報告書

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最初の成果

永井流養蚕伝習所実習棟、「ぐんま絹遺産」に

会の正式発足

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片品村絹遺産の会
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